香りは、空間に流れる時間の質をそっと整えるもの。KITOWAは、そんな時間の質にそっと寄り添う香りを大切にしてきました。たとえば、ひとつの香りが、空間の温度や記憶の深さを変えていくように。KITOWAは、目に見えない“気配”の美しさを大切にしながら、現代のライフスタイルに静かな豊かさを届けてきました。
本連載「KITOWA with Luxury」では、美意識と感性によって選ばれる“場”と香りの関係を探ります。
Vol.3は、麻布十番にある鮨の名店”鮨 めい乃”。
「香りを立てない」が暗黙の了解とされる鮨の世界で、香りを”設計する”という独自の美意識を持つ女性鮨職人・幸後綿衣氏。
その感性と哲学をお届けします。
Interviewee_
鮨 めい乃 幸後綿衣さん

麻布十番、温もりを感じる8席のカウンター
エレベーターの扉が開いた瞬間、街の気配がすっと遠のく。
麻布十番の喧騒から切り離された6階に、8席だけのカウンターが静かに息づいている。
高級鮨店に漂いがちな張り詰めた空気ではなく、
ここにあるのは、どこか懐かしさを湛えた温もりだ。
原点―「寿司屋、良くないか」という一言
── 大学をご卒業後に鮨の道を選ばれたのは、どのような経緯でしたか。
「カフェ、バー、アパレル──興味はいっぱいあったのですが、どれも確信が持てませんでした。そんなときに父が将来性や成功確率の考えから一言、“寿司屋、良くないか”と。最初はピンとこなかったのですが、時間が経つほどに面白いかもしれないと感じて。気づいたら寿司アカデミーに通っていました。」
── 決めたら動く方ですね。
「やらないと気が済まない性分です。ただ、高級寿司店の修行は入口が狭くて。当時は求人サイトに一流の個人鮨店の情報はほとんど出ていませんでしたから、自分で「すし匠」に電話して”面接してください”と直談判しました。」
── 修行の日々はいかがでしたか。
「親方は”来るもの拒まず”で受け入れてくれましたが、辛くなかった日がないと言えるくらい過酷でした。でもやりたいのに辛くてできない自分が嫌で。辞めたいと思ったことはあっても、辞めるほうがもっと嫌だった。その繰り返しでした。」
フランスで見つけた自分らしい鮨職人の在り方
── 修行の中でソムリエの資格も取得されたそうですね。
「はい。もともとワインは大好きで、修行先の鮨店でワインを選んでお客さまに喜ばれる体験に、鮨職人の仕事とは違う喜びを感じていました。正直に言うと、鮨を続けるかワインの道に進むか、かなり揺れました。」
── その迷いの中でフランスへ渡られました。
「ワーキングホリデーで1年間、ワインの知識を学びに行ったつもりだったのですが、得たものはとても大きいものでした。食材や人の豊かさ、ワインが生まれる土地で料理とワインの”構成の思想”に触れ、毎日テイスティングして、生産者に会って。フランスの自由な働き方や考え方に触れ、”自分らしくいていいんだ”と気づき、親方の価値観をそのまま飲み込むしかないという修行時代の感覚から解放されました。そして帰国の際には鮨の世界で生きていくと改めて心に誓いました。」
香りを聞く仕事―魚の声から、空間の気配まで
── 鮨の世界では「香りを立てない」ことが基本とされています。幸後さんにとって、香りとはどのような存在ですか。
「もともと、香水やコスメなどが好きで、ワインも香りから惹かれました。その感覚は鮨にも直結していて、魚の香りの良さも、海の環境、餌、漁法、輸送、店での仕込みなど、必ず理由があります。最終的に香りの良い魚しか使いません。これは単なる好みではなく、お客様が召し上がった余韻の心地よさを設計するための明確な思想です。」
── 空間の香りにも、設計があるそうですね。
「はい、毎日オープン前に私の好きなKITOWAのヒバのお香を焚いています。以前通っていた好きなワインバーがあったのですが、いつもお香を焚いて迎えてくれて、”またここに帰って来た”という安心感が素敵でした。自分の店でもお客様に”ただいま”と感じてもらいたくて、お香を焚いてお迎えするようになりました。」
── 他にも香りのおもてなしがあるようですね。
「はい。例えばおしぼりは、来店直後には清潔感のある香りを、食後には色も変え、サンダルウッドやムスクの華やかさをそっと添えます。パウダールームもラグジュアリーホテルのような豊かさを演出し、お客様にほっと一人になれる場所と感じていただけるようにしています。KITOWAのハンドソープはヒノキや柑橘系の香りが心地よく、程よく残りすぎない。強い残り香は鮨の邪魔になりますから。”いるけれどでしゃばらない”距離感がちょうどいいですね。」

麻布十番、6階の”帰る場所”
── お店の空間を設計した際のお考えをお聞かせください。
「コンセプトは実家です。リラックスして、美味しいものを食べて、“ここに来てよかった”と思っていただきたい。緊張するより、ほっとした空間で食べていただく事を常に考えています。実際に実家の写真を工務店に送り、この温かさを空間に翻訳してほしいと伝えました。」
── 店内に使われている木材も様々ですね。
「カウンターは鮨屋らしさを出したくてヒノキを使いました。他にも使っている木材にはひとつひとつ物語があって、父から贈られたソムリエナイフに使われていたオリーブ、修行時代の西麻布拓のカウンターに使われていた花梨。空間のあちこちに、記憶や学びの継承が織り込まれています。」
女性職人を一人前にする
── 鮨 めい乃さんのスタッフは全員が女性だと伺いました。
「はい。雰囲気は温かくて、よく”楽しそうに働いていますね”と言っていただきます。私は、疲れやストレスの状態では美味しいものは作れないと思っていて。営業中の空気の乱れは、そのまま料理に出る。だからこそ、場の空気は常に整えておきたいのです。」
── かつてのご自身の修行は過酷だったとおっしゃっていましたが、それをそのまま再現されるわけではないようですね。
「はい。学んだものを噛み砕いて、良いところだけを継承するのが自分の役目だと思っています。当然厳しさは必要ですが、同じようにやる時代ではないと思います。せっかく同じ時間を過ごすのだから楽しい方がいいですよね。」
── 女性の鮨職人は増えていますか。
「明らかに増えています。“憧れています”というメッセージをいただくこともあります。自分がロールモデルになろうと狙ったわけではないのですが、時代の変化と自分の在り方が重なって、結果として選択肢をつくる存在になっていた。4年前には、その選択肢すらなかったのですから。」
── 5年後、10年後のビジョンを聞かせてください。
「店の拡大よりも、育成ですね。弟子をカウンターで握らせて、技術をつけて、一人前として自立させたいと考えています。
生活できる技術を持ち、家族や人生を支えられる人を増やすこと。それがいちばんの目標です。」
麻布十番の夜は、静かに記憶へと還る
エレベーターを降り、麻布十番の夜に還る。
鮨 めい乃に満ちていた温かなぬくもりが、感覚の奥に静かに残っている。
主役は鮨。
空間がその物語を支え、香りが体験の余韻を静かに整える。

鮨 めい乃(すし めいの)
東京都港区麻布十番1-6-1 THE V-CITY 麻布十番 PLACE 6F
完全予約制 ※2部制
営業時間:17:00~ / 20:00~
定休日:火曜日、水曜日
Instagram: @mei3158
Photo_野呂知功 (TRIVAL)
Text & Edit_KITOWA